京都観光史跡ss0703

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京都の観光 近くの史跡 ss0703

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坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地
(近江屋跡)

さかもとりょうま・なかおかしんたろう
そうなんのち(おうみやあと)

   この地は、慶応(けいおう)三年(一八六七)十一月十五日、維新の功労者である土佐藩海援隊長の坂本龍馬(さかもとりょうま)(一八三五〜一八六七)が盟友である陸援隊長の中岡慎太郎(なかおかしんたろう)(一八三八〜一八六七)とともに刺客に暗殺された近江屋(醤油商)があった所である。
 龍馬は、海援隊の本部があった酢屋(すや、材木商)に下宿していたが、前年の寺田屋事件により幕府から狙われていたため、土佐藩の出入商人であった近江屋に移っていたのである。
 十一月十五日の夕刻、中岡が近江屋を訪ね、大政奉還後の政局について論じていたが、夜になり、十津川郷士(とつがわごうし)と称する男たちによる襲撃を受けた。
 龍馬はその場で絶命し、中岡も二日後この世を去った。龍馬三十三歳、中岡三十歳、実に大政奉還(十月十四日)が行われた一ヵ月後、王政復古の大号令(十二月九日)が出る一ヵ月前の出来事であった。
 龍馬と中岡は、ともに遭難した山田藤吉(やまだとうきち)と現在の京都霊山護国神社(きょうとれいざんごこくじんじゃ)に埋葬されている。 京都市
右の写真の石碑と駒札説明板は京都市中京区河原町通蛸薬師下る塩屋町(河原町通の西側歩道)に設置されています。
上の文章は坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地の駒札説明板の文を再録しています。


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坂本中岡遭難地1

坂本中岡遭難地2