横川中堂(よかわちゅうどう)
樹々の中に舞台造りで丹塗りの立派なお堂が印象的です。
信長による焼き討ちと昭和年代の落雷による2度もの焼損を蒙りましたが、淀君が再興した当時の建物の形を再現した鉄筋コンクリートで建てられました。
由 緒
横川中堂(よかわちゅうどう)
懸崖に建つ舞台造の朱塗りが印象的お堂は首楞厳院(しゅりょうごんいん)又は根本観音堂とも呼ばれ、横川の中心となる大きな建物で、慈覚大師円仁が伝教大師の教えに基づいて嘉祥元年(848)に創建しました。聖観音像と毘沙門天像の2尊が安置されていました。
織田信長による焼き討ちの後の慶長年間(1596~1614)に再建された総丹塗りの立派な大堂が、昭和17年(1942)に落雷の為に全焼してしまいましたが、本尊の聖観音像は幸い焼失を免れました。
現在に見られる横川中堂は昭和46年(1971)の伝教大師千百五十年大遠忌を記念して復元された鉄筋コンクリートの建築物ではありますが、淀君(豊臣秀頼の母)が改築した様式を踏襲して設計されています。円仁の遣唐船の形を模した船形の屋根になっています。
横川中堂は新西国霊場第十八番の札所でもあり、ご本尊には重要文化財に指定されている聖観世音菩薩がお祀りされていて、除災招福のご利益がいただけます。
別サイトの比叡山延暦寺の紅葉は紅葉の大きな写真で構成されています。
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