梅の随心院(京都市山科区)

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隨心院の梅 (ずいしんいん)

 

随心院(ずいしんいん)

随心院の宗派 真言宗善通寺派大本山
随心院の所在地 京都市山科区小野御霊町35
随心院の拝観料 400円  梅園は別途400円
随心院の拝観時間/9時〜午後4時半
はねず踊りの拝観料 1000円
隨心院への公共交通機関
 市営地下鉄東西線「小野」駅下車、東へ徒歩約5分
 (JR琵琶湖線「山科」駅下車、
 駅前より市営地下鉄東西線に乗り換え)

随心院(ずいしんいん)と小野小町

 門跡寺院の随心院が建つ地は、六歌仙、三十六歌仙の一人の小野小町の邸宅跡と伝えられています。絶世の美女と云われる小野小町は平安前期の女流歌人で出羽国(現在の秋田県湯沢市)に大同4年(809)生まれ、延喜元年(901)没の記録はありますが、生年、没年は定かではないようです。

 百人一首の「花の色はうつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」がよく知られていますが、古今集などの勅撰歌集に小町の歌が選ばれて入っています。深草少将が小町を慕って通い詰めた「百夜通い(ももよかよい)」の伝説は世阿弥により能の題材とされています。随心院の境内には小野小町が顔を洗っていたと伝わる化粧の井戸や、深草少将が小町に寄せた恋文を埋めた文塚が残されていて見ることができます。

 正暦2年(991)に弘法大師の8代目の弟子の仁海僧正が牛皮山曼荼羅寺(ぎゅうひざんまんだらじ)を建立し、第5世増俊阿闍梨が曼荼羅寺の塔頭として隨心院を建立、第7世親厳大僧正が後堀河天皇(在位は鎌倉時代1221〜1232)より門跡の宣旨を賜りました。承久の乱、応仁の乱で堂宇を消失しましたが、慶長4年(1599)に二条家と九条家から門跡の入山があり、由緒ある門跡寺院となりました。

 境内の西には約400坪もの梅園があり、3月下旬に薄紅色(はねず色)の八重の花が咲き揃います。満開の梅の元で催される「はねず踊り」は、はねず色の小袖をまとった少女たちが踊りを披露します。小町祭りは秋の11月に催されます。

随心院の紅葉と桜の写真は随心院をクリックするとご覧いただけます。

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