大徳寺の宗派 臨済宗大徳寺派大本山
境内拝観自由 (方丈、唐門等は期間限定有料拝観)
(紅葉や庭の美しい各塔頭は期間限定等の有料拝観があります。)
大徳寺の所在地 京都市北区紫野大徳寺町53
大徳寺へのバス
北大路通を走る市バス「大徳寺前」下車
(京都駅前から205系統に乗車)
大徳寺の由緒
大徳寺通から左の総門を入ると勅使門と朱に塗られた三門、うっそうと茂る老松の中に仏殿、法堂、庫裏のいずれも重要文化財の建物が北に向かって一直線に続きます。禅寺特有の伽藍配置です。これらの建物には柵が張られていて近づくことはできません。
国の重要文化財に指定されている勅使門は、寛永17年(1640)に御所南東部の陽明門を下賜されたもので、唐破風を持つ単層、檜皮葺の門で桃山時代の彫刻が施されています。天正17年(1589)に再建された金毛閣の扁額が架かる朱色の三門は高さ、幅とも約17メートルの大きなもので、この三門の楼上に千利休の木造が置かれてことが豊臣秀吉の怒りに触れ利休の切腹となった悲しい事件はよく知られています。聚楽第の遺構である国宝の唐門は西本願寺の唐門、豊国神社の拝所の唐門とともに「桃山の国宝三唐門」の一つである豪華なものですが、常には公開されていません。公開されても撮影禁止です。
大徳寺は正和4年(1315)に大燈国師により開創されました。応仁の乱で焼失した建物を一休宗純(いっきゅうそうじゅん)が復興し、豊臣秀吉などからの寺領の寄進により今に見る建物が整えられました。寺域に21もの塔頭があり、紅葉の美しい庭などが拝観できます。