革堂行願寺の宗派 天台宗
拝観 境内自由
拝観時間 朝8時より夕4時半
革堂行願寺の所在地
京都市中京区寺町通竹屋町上る行願寺門前町17
(寺町通の東側歩道より入る)
革堂行願寺への公共交通機関
市バス「河原町丸太町」下車、徒歩数分
(京都駅前より市バス17系統、205系統に乗車)
革堂行願寺の由緒
市街地の中心に200年以上も前に建てられた諸堂が並ぶ静かな佇まいの革堂は、中世には町堂としておおいに栄え、今も西国三十三所観音霊場の第十九番札所として多くの参拝者が訪れています。
若き日に九州で狩人をしていた行円が、身ごもった母鹿を射止めてしまったことを後悔して出家し、寛弘元年(1004)に行円(ぎょうえん)上人が、京都市上京区の一条小川にあった一条北辺堂を復興し行願寺に改めたのが創建の歴史です。行円上人は誤って射止めてしまった母鹿を憐れみ、その鹿の皮を常に身にまとっていたことから、人々から皮聖(かわのひじり)と呼ばれ、この寺も革堂と呼ばれるようになったといわれています。町衆からの厚い信仰を受け、下京区の六角堂とともに町堂(まちどう)としての役割を受け持っていました。町堂は異変の際に鐘を打ち鳴らし町民を集結させるなど、現在の自治体のようなものです。
宝永5年(1708)の火災の後に現在地に移り、今に見られる本堂は文化12年(1815)に建てられ、本尊の行円上人の作と伝えられる高さ2.4mの千手観音像を堂内に安置しています。
都七福神巡りの一つの寿老人神堂(じゅろうじんしんどう)もお詣りの人が絶えません。境内北西の百体地蔵堂と並ぶ加茂明神塔(かもみょうじんとう)は高さが3メートルもある五輪石塔です。革堂に伝わる若い女性の悲しい伝説を描いた幽霊絵馬が宝物館に保存されていて、毎年8月の地蔵盆の日に千手観音の前に安置して霊を慰められるそうです。
7月17日と24日に巡行する祇園祭山鉾33基の写真は
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