金戒光明寺の宗派 浄土宗大本山
金戒光明寺の所在地 京都市左京区黒谷町121
金戒光明寺の拝観
午前9時より午後4時、境内拝観自由
時期により山門、紫雲の庭等の有料拝観もあります。
金戒光明寺への公共交通機関
丸太町通を走る市バス「岡崎道」下車、
徒歩10分弱(京都駅から市バス100系統)
金戒光明寺の由緒
黒谷さんの呼び名で親しまれている金戒光明寺は、紫雲山と号する浄土宗の大本山で、京都の市街地が見下ろせる丘陵地に広大な寺域を広げます。文殊塔(三重塔・重要文化財)、山門、御影堂などの豪壮な構えの堂宇が並びます。
浄土宗を確立するために承安5年(1175)に法然上人が庵を結んだのがこの地で、知恩院、清浄華院(しょうじょうけいん)、百万遍知恩寺とともに京都の浄土宗四ケ本山の一つに数えられています。浄土教の念仏道場として栄えたこの寺は後光厳(ごこうごん)天皇(南北朝時代の天皇、在位1352〜1371)より「金戒」の二字を賜って金戒光明寺と呼ばれるようになりました。山門に掲げられている「浄土真宗最初門」の文字は正長元年(1428)に後小松天皇より賜った勅額で、法然上人が浄土教の真実義を広めた由緒によるもので天皇の宸筆です。
幕末に会津藩主の松平容保(まつだいらかたもり)が京都守護職として着任した時、ここに本陣を置き家臣1000人がこの寺に駐屯しました。文久2年(1862)には京都守護職の本陣となり、近藤勇らはこの寺で松平容保に拝謁し、後に新撰組を結成しました。会津藩の殉職者達は今も金戒光明寺の墓地に眠っています。金戒光明寺の桜の頁もご覧ください。